手法と感情のせめぎ合い
自分の手法の基本は、ライン抜けの戻りを待って抜け方向にエントリすることである。
この手法が基本となって、トレンドライン抜け、チャネル抜け、切り上げ/切下げ抜け、レンジ抜けといった各場面に適応していくことになる。
カナダ円のこの場面。
緑チャネルの中で推移していた値動きがチャネル上限をブレイクしたところ。
青丸のラス戻りを超えているという前提があるので、次の目標は黒丸の高値部分だ。
手法に照らせば、赤矢印のようにチャネル上限への押しを待ってから買いエントリするような押し目買いの場面だ。
ところが実際は画像のようにじりじりとチャネル内に復帰している。
ここで自分の内面に起こったことをつぶさに観察すると、チャネル上抜けの時点で、
・抜けが少し甘い気がする
・20MAがついてきていない
・しかしラス押しは超えているので上目線が基本か
といった具合の観察をしていた。
その後じりじりチャネル内に戻ると、
・深めの押しが入るのか?
・黒切り上げラインがサポートになるのか?
・上でいいはず。・・・下なのか?
という感じで徐々に疑心暗鬼に囚われていった。どちに行く気なのかさっぱりわからず、ストレスを感じていた。
「どちらに行くかわからない」という当たり前の事実に疲弊していたのだった。
予想をしてはならないと言われる所以はこうした所に答えがあると思う。
行き先を予想してトレードするのではなく、売り買いのサインを判断基準としてトレードしているだけに過ぎないのだから。
本来的には赤切下げラインを引いて上抜けからエントリするのが戦略だったのだが、あれよあれよと黒切り上げラインまで下抜けしてしまった。
こなると上目線の認識が下目線に変わってくる。
変わっていくといってもそれは徐々にであった。
上でいいのか?下なのか?深めの押し?やっぱり下かも?本当に下?おそらく下だ。下だよ。
という案配で何かを決断できるような心理状態ではなくなる。これがおそろしくもやっかいな人の心の機微だと思う。
「トレードは感情でその売り買いを判断してはならない」
その真実は、どこで売り買いの目線を確定するかの判断がグレーの状態で変遷していくために、明確な判断基準を持って決断することが困難だからだ。
従ってこの時こそ、手法に従って機械的にエントリしなければならない。
つまり自分の場合で言えば、「ラインの抜け戻りを待ってエントリする」ということに他ならない。しかしここでも感情が邪魔をする。緑チャネル抜けが否定されたように、黒チャネル抜けも否定されるのではないか?という恐怖がそれだ。
この恐怖を克服することが何よりも大事なことだと思う。
そのためには、手法に従ったエントリを繰り返し実施して、機械的に処理できるように習慣化することだと思う。
手法に照らせば赤丸のところからエントリすべき場面となる。
トレンドフォローをしていく局面であるから、MAの状態やトレンドの付け方など諸々の細かい判断はあるが、抜けの戻りを待ってエントリするということが、シンプルでいて難しくなってしまうのはこういう場面で感情が邪魔をするからだ。
しかし真にシンプルであると言えるのは、やはり機械的に処理すればいいからだ。
手法に従うこととそれを邪魔する感情の関係が非常によく分かる場面だった。